創刊二百号に寄せて
又江 啓恵
平成十四年一月、「礫の会」は、竹村公作を主宰とする新体制へと移行した。
創刊時の精神はつつがなく継承され、本号で十八回目の号を重ねる。
本号はまた創刊二百号でもある。これを機に「礫」の歩みを振り返りたい。
昭和五十五年十一月、由良琢郎を主宰として「礫」は呱呱の声をあげた。
平成元年『短歌研究』が短歌結社の「誌名の由来」を特集したが、その二月号に
由良主宰は次のように記している。
『礫』は「れき」と読む。昭和五十五年十一月、私が命名創刊した。
そのころ私が作品をみていた人たちには、作品発表の場がなかった。
その人たちのためにも、歌誌をもつことが励ましになると思ったのである。
「礫」とは小石。何からとった名というのでもない。われわれの存在は、
この世に放り出された小石のようなものだという認識による。また発表の
すべての作品に、会員みなが目を通せるほどの、礫の名にふさわしい
小結社を理想とする。会員が多すぎて個性を埋没させるのは無責任だと
戒める。会員は相互に個性を熟知し感化し合うのが礫の理想。だから礫の
認識は逆説的に抱負を秘めている。創刊号に、「礫」は個々の存在であり
ながら、ときには集まって清らかな川原をつくることもある。
と。創刊号に記された主宰の言葉を少し補足する。
「礫」という名を私は贈ろう。「礫」は小石でありながら、それぞれに照りつ翳りつ
している。(略)むしろ目だたぬささやかなものにしたいという私の気持は、この
「礫」を思う気持であり、一つの逆接を含んでもいる。(略)いうまでもなく、やがては、
詩をこころざす者としての、遥かなるものへの願いを、もっていただきたいという期待
である。
創刊時の主宰の素志を私は私なりに、清廉・無私・平等と理解している。添削料や寄付金は
一切無用。会費は一律で、主宰活動費も無きに等しく、総て会費で賄う。誌上への発表は五十
音順、発刊当時は全員八首を掲載していた。「礫」専用の原稿用紙が八首記載できるようになっ
ているのもそれによる。二十首詠が他結社の歌人に評された時期や三人集の時代を経て、一人
五首を基準とし、巻頭に八首掲載の六人集を置く現在の形式が定着した。
無私といえば、結社の運営はいずこもボランティアによるのであろうが、「礫」も例外ではない。
「礫」の会計が潤沢でなかった頃、さる喫茶店の好意で一遇を借りほの暗い灯の下で、目をしょ
ぼつかせながら編集・校正をしたものである。其処で私は田辺理三という能面作家に出合い、
増女の面を打っていただいた。その時、はからずも高校教師時代の主宰が、かつて兵庫県高等
学校職員組合の中央執行委員であり、氏らと共に勤評闘争などを闘った同志と知り、創刊時の
主宰の素志を私なりに理解し、かかる精神に則る「礫」ならばと事務局を引き受けることを自らに
課した。会の発足に当り、小林(編集長)・井口(会計)・和田(当初からの編集委員)の三氏、
そして奥平氏が重鎮としてこれを支えた。新体制に移行するまでの二十余年の歳月を、これら
核になる人々が一人も欠けることなく、最後まで「礫」とともに歩んできた。
「礫」への愛の証左と私は理解している。
さて、「礫」は季刊から始まり、昭和六十三年九月号から隔月刊、平成二年一月号から
月刊となる。平成七年二月号が通巻百号となるのを記念して「短歌と国文学」の特集を編んだ。
その編集中に阪神淡路大震災に遭遇。多くの国文学者や歌人からいただいた原稿はすでに
印刷所にまわっていた。奇跡的に印刷所は大被害からまぬがれ、原稿も無事。震災後の郵便
事情は悪く、もちろんJRのダイヤも定かでない。神戸駅から印刷所まで、校正原稿を持って
瓦礫の間を往来した。印刷所の尽力で、三週間遅れではあったが、百号を刊行。西脇まで
出向き、播磨支部の協力を得て発送する。未曾有の震災であったが、阪神・淡路在住の会員
全てがつつがなかったのは僥幸というより他ない。震災の傷を抱き、大変な時期を乗り越え
ながら休刊することなく今日まできた。
この百号を契機として、「礫」は十号毎に「短歌と国文学」の特集を編み、本二百号が特集
第十一集に当る。ちなみに、由良主宰は『伊勢物語講説上下』(明治書院刊)を初めとして
多くの国文学関係の著書がある。その縁で多くの国文学者からご協力もいただき、「礫」は
短歌と国文学の一体を志す、今日の歌壇では特異な結社誌となった。
礫叢書は今夏刊行の合同歌集『空』をもって八十五編となる。
昭和六十年に設けた礫賞は、第6回以後新人賞とし現在、吉見道子を選考委員長として、
毎年一月号に受賞作品を発表。本年一月号で第十四回となる。
前述のように、「礫」は、平成十四年一月に、主宰竹村公作・編集長大畠笙治・事務局長
足立昭子の三氏を中心に、会計に丸岡弥生・飯谷宏代、主宰補佐に高階時子・吉川喜代美を
配し、事務局も丹波に移行して新体制が発足。由良主宰の素志を継ぎつつ、やがて「礫」に
新風を吹き込んでくれることであろう。
「礫」はつぶてとも読む。関東から九州に散らばるわずか二百名足らずの会員であるが、
世におもねることなく、一つ一つが、そして、その結束が歌壇に投じる礫でありたい。